2012年7月28日土曜日

Clinical Clerkship 修了 --- Two students finishing the CC program

7月はじめから始まった麻酔科の4週間のクリニカル・クラークシップに2人の学生が参加していたが、昨日無事修了することができた。

「これだけは学んでもらいたい」という症例を厳選し、担当してもらったのだが、すごく熱心に勉強しており、プレゼンテーションの技法も身につけたようだった。

帝切とクリッピングの症例を逃したのは残念だったが、それ以外はコンプリートしたようなので良しとしよう。

教える方もがんばった。
自分で自分をほめてあげたい(笑)

Two Medical students finished the Clinical Clerkship (4-week program) yesterday.

They studied very well and their presentation skills were remarkably improved.

I believe the teaching staffs including H-sensei and I did very well, too.

2012年7月25日水曜日

プチ国際親善 with NUS medical students

夏休みで不在の T 手術部長に代わり、National University of Singapore からウチの大学に短期滞在中の医学生6人に手術部の中を案内した。

事務方からスケジュールが遅れ気味なので早めに終わらせてほしいと頼まれ(実際、20分遅れでオペ室にやってきた)、早く終わらすのは簡単だし得意(?)だと約束しておいたのだが、実際は着替えに手間取ったり、いろいろなよもやま話や写真撮影で盛り上がったりで、さらに10分以上スケジュールを遅らせることになってしまった。

事務方の女性には、悪いことをしてしまったかも・・・。
まあ、もしも万一このことで病院からお目玉を食らうとしたら、それは T 部長にお願いすることにしよう・・・と思っている。

学生さんたちが手術部に着いた時は表情が硬くて、思いっきり緊張しているのが手に取るようにわかったが、帰りはリラックスしたようで笑顔が見られて、こっちもホッとした。

2012年7月24日火曜日

東京麻酔専門医会リフレッシャーコース 第2日

リフレッシャーコース第2日もいろいろと盛りだくさんで、学ぶことは多かった。
いろいろと忙しかったために更新が遅れてしまった。

「産科出血の管理法」では、産科出血を通常の手術での出血と同様に扱ってはならないというのが、講演の趣旨のようだった。
以下はその講演の際の、自分のメモ書き。

・単胎の場合、出血量は 800 ml までが正常範囲。
・産科出血が 2000 ml を超えると、10% の頻度で DIC を発症する。
・DIC を併発するとさらに出血が止まりにくくなるので、DIC をコントロールすることが重要。
・DIC に対してはフィブリノーゲンを 100~150 mg/dl 以上にすることを目標にし、FFP の投与を控えないようにする。
・ショックインデックスが 1 以上で PT が正常値でも、フィブリノーゲンが低い場合は FFP を投与する。
・DIC が起これば弛緩出血が起こるが、DIC が治療できれば子宮は収縮する。
・出血が 2000 ml 超える場合に膠質液でしのぐのは危険で、FFP を積極的に投与する。

「採血・献血に伴う神経障害性疼痛・CRPS の診断と治療」は、とても身近な話題を扱った講演だった。

静脈路確保後に患者が激しい痛みを訴えている時は、点滴がよく落ちていたとしてもすみやかに抜くことが大切である。
神経をひっかけていることがあり、抜いたとたんに痛みが改善することがある。

リフレッシャーコースの後での反省会では、もっと写真をたくさん撮ればよかったのだが、かろうじてイクラ入りのチャーハンだけを写したので、とりあえずそれを載せておく。

2012年7月21日土曜日

東京麻酔専門医会リフレッシャーコース 第1日

東京麻酔専門医会リフレッシャーコースが、今年もアステラス製薬ホールで開催された。
 
朝一番からたくさんの人たち(多くは若手の麻酔科医)が参加してくれて、3人がけのテーブルはほとんどが埋まっており、会場の脇に並べられたイスにもたくさんの人が座っていた。

とにかく盛況のため熱気でムンムンしており、しゃべっている途中で暑くて頭がクラクラしてくるほどだった。
今日は朝肌寒かったのでジャケットを着ていったのだが、それはちょっと失敗だったかも・・・。

午後は「論文を書こう!」というタイトルの講演で司会進行役を務めたおかげで、弘前大学・廣田先生と関西医科大学・浅井先生とお話しする機会を得た。

お二人とも学問に対してとても真摯な態度で臨んでいるということがとてもよくわかったのだが決してそれだけでなく、時折ユーモアあふれるトークで会場を湧かせたりと話術に長け、話題も豊富で仕事を心から楽しんでいるような印象を受けた。

明日もまた新しい出会いがきっとあるはずなので、それを楽しみにしたい。

2012年7月18日水曜日

続・マニュアル改編で歴史を振り返る

安全管理対策室から麻酔科の安全管理対策マニュアルと業務マニュアルの改編を命じられていたのだが、締め切り間際になって、ようやく提出することができた。
 
もともとのマニュアルは自分が医局長の時に作ったものなのだが、医局長業務から離れて 10 年弱経つので、自分の所属科とはいえ最新のルールにはすっかり疎くなってしまった。
それで現医局長の H 先生に協力してもらい、なんとか改編にこぎつけたというわけだ。

以前のバージョンは A4 の用紙で 33 枚分のものだったのだが、今回は削除する箇所がかなり多く、気がついてみると結局は 30 枚分に減ることになってしまった。

減った理由としてはまず、他科からの短期ローテーターからの受け入れが実質的になくなったことによるところが大きいように感じる。
バックグラウンドが異なる若者を教育するよりは、基本的には同じ教育を受けている初期研修医を指導する方が、教育のためのマテリアルは少なくてすむということみたいだ。

また、PHS や医療端末の普及と利用の度合いが高まったおかげで、さまざまな連絡や申し送りの必要がなくなってきたことも、マニュアル量の低下に寄与していると思う。

以前は午後3時になると手術部の看護師に翌日の患者情報や必要物品を直接申し送っていたものだが、現在はオンラインで事足りるため、そういう風景はすっかり見なくなってしまった。
かつては研修医がリスクのない S 状結腸切除術で輸血ラインをオーダーしてしまい、資源の無駄遣いだとベテランナースに一喝されるような場面もしばしばあったわけで、そういう人と人とのコミュニケーションの場が失われていくのは、なんとなくさびしいような気がしてしまう。

2012年7月14日土曜日

ラケット折れた

留学が終わった時に靴はいくつも捨てざるをえなかったが、これだけは・・・と思って持って帰ってきたラケットがついに折れてしまった。

安物だったけど、冬のインドアテニスとか最後の試合なんかではずいぶん活躍してくれたやつ。

ラケットが折れた後、他の人にラケットを貸してもらったのだが、これがグリップが細くて自分にはすごく使いやすく、サーブがビシビシ決まって気分が良かった。

折れたラケットはずいぶんとグリップが太かったことに今さらながら気づいたのだが、貸してもらった人に、「さすがはアメリカンサイズは違うね(?)」と言われてしまった。

2012年7月10日火曜日

院内医療メディエーションとは

先週月曜日の安全管理講習に出席することができなかったので、今日は当直明けだったがそのビデオ講習に出席してきた。
演者は、早稲田大学大学院法務研究科教授 和田仁孝先生。
以下はそのビデオ講習の時の自分のメモ。
 
深刻な医療事故が起こるとしばしば医療側と患者側が対立することになるが、そこで第三者的な立場で両者の対話を促進する役割を担うのがメディエーターということになる。

このメディエーターは病院のシステムに通じていないといけないことから院内の職員でないといけないが、だからといって患者側に、メディエーターが医療側の立場についていると思われてもいけないし、逆に患者側の味方になっていると医療側に思われるようなことがあってもいけない。

したがってメディエーターは難しい立場に立つことになので、病院としては彼らを「安全地帯」に置いておくような配慮が必要になってくるとのこと。

基本的にメディエーターは自分の意見や見解の表明は一切しない。
そのかわりに、メディエーターは医療側または患者側に質問を投げかけ、語らせることによって情報を引き出すことが期待される。

対立構造は貧困な情報がもとに形成されることが多いので、より多くの情報を引き出すことによってお互いの理解を促進することに役立てるらしい。

病院は患者を待っていてはいけない。
患者はつねに病院を待っているから、病院(メディエーター)の側から行動を起こす。

メディエーターの仕事は患者側から罵声を浴びることから始まることがつねだが、そこで行動を起こさないと、患者側から「病院は何もしない」といった別の怒りを買うことになる。

医療側と患者側は違うナラティブ世界に生きている。
だからメディエーターが両者をつなぐ役割を果たすことが期待される。

2012年7月6日金曜日

PBLD 抄録完成!

学会から支部集会の PBLD の抄録を送るようにせっつかれて、ようやく昨日、咳き込みながら登録を完了した。
 
一瞬、PBLD のシナリオを今の時点でもう送らないといけないのかと思ってあせったのだが、そういうことではなく、あくまでも一般的な情報を抄録に載せることが求められていたようで、ちょっとほっとしたのだった。
 
ついでながら学会からの説明によると、PBLD は EBM と密接な関係があって、設問の解説では個人的な見解ではなくて EBM に従った解説が求められるとのこと。
 
・・・のだけれど、今回のケースはかなりまれなものなので、どこまで EBM でうまくやっていけるのかよくわからない。
EBM の限界に挑戦してみたいと思っている。

2012年7月5日木曜日

ドクターショッピングじゃないのだけれど・・・

先週の土曜日に近所のクリニックにかかり、最初の2日間はとてもよく眠ることができた。
 
さすがは濃厚ブロチンコデイン配合シロップ + ホクナリンテープ! と思ったのだが、3日目からはまた咳で眠れなくなり、しかもその頼みの綱の薬さえも切れてしまった。
 
そこでまたクリニックに行こうと思ったのだが、なんとそこは木曜日は休診。
しかも明日は早く帰れるかどうか微妙なところだったので、不本意ながらまた別の近所のクリニックに行くことにした。
 
実際行ってみると、そこは外見が上品なつくりをしていて、まるでペンションのようなところだった。
中に入ると待合室には誰も患者がおらず、5分ぐらい待つだけで診察してもらえた。
 
今までの経緯をかくかくしかじかと先生に説明したところ、薬を替えましょうとのこと。
もっと強力なやつでバーンと咳をやっつければ、必ず良くなると言われた。
 
で、今回の処方は、
ジスロマック錠 250mg 朝2錠 1日1回 3日分
リン酸コデイン錠 5mg 朝・昼・夕2錠ずつ 1日3回 5日分
ケンタン錠 60mg 朝・昼・夕1錠ずつ 1日3回 5日分
ホクナリンテープ 2mg 1日1回 5枚
 
抗生剤だけ3日分なのがポイントで、これは3日飲むだけで1週間効くやつなのだそうだ。
のどの刺激が嘔吐反射を催すほどひどくならないように、今のうちにしっかり治しておきたいところだ。

2012年7月2日月曜日

Web of Science 検索講習会

恥ずかしながら今まで一度も Web of Science を使ったことがなかったので、大学で行なわれた検索講習会に出席してきた。

PubMed と Web of Science の違いはいろいろあるが、PubMed は医学分野に特化していて比較的マイナーなジャーナルもカバーしているのに対し、Web of Science は生物学や化学、物理など広い範囲を網羅しているものの、カバーしているジャーナルは impact factor のあるジャーナル(コアジャーナル)のみである。
Web of Science = Impact factor という関係が成り立つ。

Web of Science では引用に関するさまざまな情報を入手することができる。
例えば、ヒットした論文を引用された回数の多い順に並べ替えるとか、あるキーワードに対する年代別論文数とか年代別被引用数を調べるなど。
著者名と和文タイトルがわかっている場合、その和書を引用している論文を検索することもできる。

また、しぼり込み機能も PubMed とはやや異なる。
Web of Science ではあるキーワードに対し、どの分野で使われているか、どの国で行われているか、所属先や助成金情報でもしぼり込むことができる。

所属先については、郵便番号からしぼることもできる。
ある大学の学部でしぼるにはやや技巧を要し、"Tohoku Univ same Med" のように "same" という語を使うことになる。
"same" を入れないと、"Tohoku Univ" 以外の医学部も含まれてしまうらしい。

PubMed でもできるかもしれないが、Web of Science では 2007 年以降の論文に対してフルネーム検索ができる。
"姓 + スペース + 名" で検索する。

PubMed と Web of Science の重複は、7割弱しかない。

今回の講習会の講師は、まず PubMed で検索した後にそれがどのように使われたかを Web of Science で調べ、さらに PubMed に戻って詳細な検索をすることを勧めていた。

2012年7月1日日曜日

コデイン効いた

昨夜はブログを書き終わると猛烈な眠気が襲ってきて、朝までぐっすり眠ることができた。

おそらくコデインが効いたことによるものと思われる。

朝目覚めると口の中がパサパサで、鼻汁と痰が溜まっていた。

今日も声が嗄れていて、あいかわらず咳は出るのだが、咳が出る時の苦痛はだいぶ和らいでいて、確実に治癒方向にあるものと思われる。